高尾建三のきもの制作ポリシー
私と琳派との出会いは、三十六年前の東京国立博物館での琳派展でした。
それまで美術書等で鑑賞してきたつもりでしたが、海外流出などして観ることのできないと思っていた多くの実物と出会った時の、あの感動はいまもって忘れる事ができません。
そこで得たものは、その後の私の着物制作に大きく影響を与えました。
「情緒があり、一つ一つの技術がやさしく、いばらず、そして全体が見事に協調・調和していることでした」
このことは私のその後の人生を大きく変え、感性を豊かにしてくれました。
また、私はらしく…という言葉が好きです。着物は、下絵、糊、友染、刺繍等幾多の作業から一つの作品を造りなすものです。だから、それぞれが・・・らしく 譲り会い、着る人の心の優しさまでを、表現するような作品を製作したいと常々思っています。その思いの完成まではまだ道半ばですがが、いつの日かそのような完成度の高い作品ができることを信じ、また、さらなる夢を追いかけて活動しています。
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社団法人 日本伝統染色工芸保存協会に思う
社団法人 日本伝統染色工芸保存
協会が設立され、着物の琳派会が始まり早三十年目になります。
美術史家の言う、桃山末期における町人文化の旗手として、琳派芸術が起こるが、時代を越え現代まで生きつづけている根拠を追求していくうちに、それ以前の時代の芸術は、権力者の嗜好によって左右されたり、草花・鳥獣類を描くのにおいては、巧みに描き豪華であればよし、とするのではなく、『宗達の言う絵とは、心の中の震えを現す物』、要するに、感性、情感、品位を重んじる所が、その時代の大衆に受け入れられ、今もなお世界的に認められる理由であろう、と言う事で結論づけましたが、そこで着物製作にあたり、私たちも琳派の真随に習い、その時代の求める作品づくりをしていこうと、意を共にいたした次第です。
着物産業の衰退が言われていますが、私はあまり悲観はしておりません。洋服は機能的であり、かたちを楽しめます。しかし、日本女性の美しさは、身体の線の凹凸ではなく、その方の知性、教養、歩まれた物語を表現する事だと思います。
私の着物製作の基本としている所は、一つの着物は幾多の作業で出来上がる、と言う事は皆様もご存知だと思いますが、「一つ一つの技術が、やさしく譲り合い調和しなければ、着る人の心のやさしさは表現出来ない」と思うところにあります。
それに先駆者が教え、また伝える琳派模様に挑む時には、白揚げで加工する事が最もふさわしいと言われるように、私もそれを基本の一つとしております。
もう一つは、正装用のみでなく大作でもない、それは楽しく着ることのできる着物と帯といううことです。
御茶席に招かれた時、観劇の時、ひかえ目に上品な着物を着て、友人に会う時、夫婦ですこし気どって食事に出かける時、あてもなくおしゃれがしてみたくなった時、その様な「物語」のある時に着ていただける様な着物を作りたいと考えています。
それには、琳派特有の作意がなく洗練された物がよいでしょう。
私には、諸先輩の様な才能も賢明さもございませんが、着物製作において、巧くなくても、豪華さがなくても、着る人の心に残り、着る方のやさしさ、上品さが、そのままに出る様な着物を作りたいと思っています。
着ていただくお方の心に残るお召し物、これが私の永遠のテーマとして追いつづけいます。
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この作品への思い入れ
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| 中振袖 「光 琳 波」 |
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白・紅・金の三色のみだけを用い、友禅のもつ美さを十分に引き出したいと願い表現した作品です。
白の5枚繻子(ゴマイジュス)に、紅の光琳波を本友禅で描き出しました。
波しぶきは、金駒刺繍(キンコマシシュウ)で強くアクセントをおき、水の対象である炎のようにさえ見えるようイメージアップしました。
構図そのものに、装飾性が豊かに感じられるよう、また、素材をはみ出しそうな動きが感じられるよう工夫いたしました。
さらに、ここでは、もう一ひねり。紅で描かれた波の線の一筋一筋は、すべて細かい金で縁どりました。
純金をとかした液を、極めて細かい口金からしぼり出して線をえがいてゆく印金仕上です。これを身にまとうお方のかすかな動きにも、紅の波の渦がつややかに光り、絹の下にひそんでいる波の動きをよみがえらせようとしました。
豪華さをつくりだす最も基本的な三つの色である「白・紅・金」 だけを大胆にとりだし、贅沢に使うことによって、最高の効果をあげることができた作品です。
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